玉龍寺とは

玉龍寺では、葬儀法要、祈願、観光中心の職業化した僧侶仏教から、「法」を学ぶことに中心を置き、在家が生活のなかに純粋な仏教理論を応用して、豊かに生きる「生活仏教」への転換をはかります。

世界の平和と幸福達成のためには、個々人、それぞれがまず平和に、幸福にならなければなりません。それには「禅のわかりやすい修行」が最も効果的であると考えています。

【在家禅道場の活動】
朝課(読経・参禅 ) 毎朝6時〜 
晩課(読経) 毎夕5時40分〜

研修会(総合研修、坐禅摂心・托鉢研修、企業研修、個人長期短期研修)
講演会(一日で覚る、百まで現役など)
悩み事相談(禅セオリー応用、心理カウンセリング など

【歴史】
慶安二年(1649) 盤珪禅師、神野村日立の山中に玉龍庵を結ぶ。「玉龍」の名は、赤穂の随?寺にある盤珪の師、雲甫和尚の棲隠所の名に因む。

元禄五年(1692) 日立の領主、尾州藩の石川大和守、盤珪禅師に深く帰依し、山林を寄進して玉龍庵に方丈、庫裏、諸堂を建て盤珪禅師を迎える。結冬安居には宗派を問わず数百人の修行僧、道俗数万人が参集。解制後、玉龍庵を玉龍寺に改める。

盤珪禅師は、玉龍寺に時々来るハンセン病の乞食たちに自鉢で飯を与えていたという。

江戸時代から明治五年学制ができるまで、玉龍寺は神野の寺子屋であり、住職が読み書き算盤を教えていた。

明治六年(1873) 神野村を学区とし、玉龍寺を仮校舎として日盛義校設立。翌年、神野学校と改称。神野学校は明治九年新校舎完成に伴い移転。

第二次世界大戦後に農地解放によって収入が途絶え住職不在となったため、檀家も離れ、零落荒廃する。

平成四年(1992) 宮前心山老師、盤珪禅師開創の玉龍寺が荒廃しているのを悲しみ、修復再興を始める。つづいて墓地や庭の整備、檀徒がないので高齢者と若者(ニート・ひきこもり)のサンガを始める。

平成七年(1995) 玉龍寺落慶

在家僧侶の養成指導を始める。在家僧侶が中人となり、単立化を図る。

平成十七年十一月八日(2005) 頂っていた子供の火遊びから全焼。再建計画中。

平成十九年(2007) 在家僧団結成 宗派離脱 単立法人となる。

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